以前の記事では、青森を離れて東京で就職するまでの話を書きました。
今回はその続きで、自分が会社を辞めてインフルエンサーを目指すことになったきっかけについて書こうと思います。
今はSNSで青森をテーマにした動画を投稿したり、地元のイベントに呼んでいただくことも増えてきました。
でも、もちろん最初からうまくいっていたわけではありません。
りんご農家の家に生まれて、青森で育って、高校を卒業して東京で会社員になって。
そこからインフルエンサーという道に進むなんて、当時の自分は正直まったく想像していませんでした。
今振り返ると、あのときの「なんとなくの迷い」が、人生を変えるきっかけだったのかもしれません。
働いていて感じていたこと

地方の高校だと、企業から学校に届く求人票の中から就職先を選ぶことが多いと思います。
自分もその流れで、東京の会社に就職しました。
東京で働き始めてから、仕事自体にはやりがいもありました。
会社でも責任のあるポジションを任せてもらえるようになっていましたし、給料面でも特別な不満があったわけではありません。
でも、コロナ禍に入って、思うように動けない時間が増えたとき、ふと考えることがありました。
自分は青森出身で、家族も友達も青森にいます。
それなのに、このままずっと東京で働き続けていいんだろうか。
そんなことを、ぼんやり考えるようになった時期がありました。
とはいえ、東京の生活が嫌だったわけではありません。
東京には東京でできた友達もいますし、生活も楽しい。
だからこそ、余計に悩んだんだと思います。
「このまま会社員として働き続けるのか」
「それとも違う道を考えてみるのか」
今思うと、あの頃は自分の人生の分かれ道みたいな時期だったんだと思います。
正直、当時はそこまで深く考えていたわけじゃないんですが。
でも心のどこかで、
「このままでいいんだべが」
みたいな気持ちはあった気がします。
東京で知った、いろいろな働き方
東京で生活していると、いろんな働き方をしている人に出会います。
会社員として働いている人もいれば、
フリーランスで仕事をしている人、
自分で事業をやっている人、
SNSで活動している人もいる。
それぞれが、自分なりのやり方で生活していました。
青森にいた頃は
「高校を卒業したら就職して会社で働く」
それが当たり前のルートだと思っていました。
でも東京では、その“当たり前”が一つじゃないことを知りました。
むしろ、会社に所属しなくても、自分の力で仕事を作って生きている人がたくさんいる。
その姿を見ているうちに、昔からよく聞いていた「安定」という言葉が、
本当に自分の人生にとって一番大事なものなのか、少しずつ疑問を持つようになりました。
もし人生が一度きりなら、自分がやってみたいことに挑戦してみてもいいんじゃないか。
そう思ったことが、会社を辞める決断につながったんだと思います。
今振り返ると、東京でいろんな働き方をしている人たちに出会えたことは、自分にとってすごく大きかったです。
TikTokを始めたきっかけ

運よく合格することができて、そこから活動を始めることになりました。
ただ、当然なんですが、
事務所に入ったからといってすぐに仕事が増えるわけではありません。
今思うと当たり前なんですが、その頃の自分は正直、
「事務所に入ったら、ある程度仕事はもらえるものなんじゃないか」
くらいに思っていました。
今考えると、だいぶ甘かったですね。
ちょっと自信家だったのかもしれません。
そんなとき、当時のマネージャーに聞いたことがあります。
「案件の仕事をもらうには、どうしたらいいですか?」
返ってきた答えは、とてもシンプルでした。
「フォロワーが多ければ、案件は振れるよ」
つまり、SNSのフォロワーを増やす必要があるということでした。
正直そのときは、
「結局そこなんだ」
と思った部分もありました。
でも同時に、
「じゃあフォロワー増やせばいいんだな」
とも思いました。
それなら自分でやってみよう。
そう思って、そこからTikTokを本格的に始めることになりました。
最初のTikTokは全然バズらなかった

当時は正直、
「とりあえず踊っていればバズるんでしょ」
くらいの感覚でした。
でも実際に投稿してみると、当然そんな簡単にはいきません。
最初の頃の動画は、平均で300回くらいしか再生されないことも普通でした。
「これ意味あるのかな」
と思うこともありました。
でも、マネージャーに認められたい気持ちもありましたし、
何より自分は
「有名になりたい」
という思いがありました。
だから、とにかく投稿を続けました。
そんな中で、動画のネタに困ることも増えてきました。
「自分が発信できることって何だろう」
そう考えたときに、ふと気づいたのが
自分が青森出身だということでした。
東京に出てから、なまりのあるしゃべり方をよくいじられることがあって、
それを思い出して「青森あるある」の動画を投稿してみました。
すると、それまでより少しだけ再生回数が伸びたんです。
いきなり大きくバズったわけではありません。
でも、数百回だった再生回数が少しずつ伸びていくのを見るのが、すごく面白かったんです。
フォロワーが少し増えたり、再生回数が伸びたり。
数字が変わるのが目に見える。
そのとき初めて、
SNSってこんなに可能性があるんだと実感しました。
半年以上、毎日投稿を続けて、少しずつ知名度も上がっていきました。
そして初めてSNSを通して収入を得たとき、
自分の中で
「この世界で挑戦してみたい」
という気持ちが強くなりました。
地元に何かできないかと思うようになった

ありがたいことに、今ではインフルエンサーとして活動できるようになって、去年は自分の会社も立ち上げました。
SNSを通して青森でイベントを開催したり、動画を見てくれている人たちと実際に会える機会も増えました。
活動を続ける中で、強く感じることがあります。
それは、自分を応援してくれている人たちの多くが、やっぱり地元の青森にいるということです。
動画を見てくれる人、イベントに来てくれる人、応援してくれる人。
そういう人たちと会うたびに、
「地元に何かできないかな」
と思うようになりました。
一方で、自分のこれまでを振り返ることも増えました。
高校を卒業するとき、正直なところ
「働くこと」や「仕事を選ぶこと」について、そこまで深く考えていたわけではありません。
なんとなく東京に憧れて、求人票の中から東京の会社を選んで、上京しました。
でも、会社員を辞めてインフルエンサーという道に進んだことで、
改めて
「仕事ってなんだろう」
「働くってどういうことなんだろう」
そういうことを考える機会が増えた気がしています。
だからこそ、自分の経験を通して、
同じように将来や仕事について悩んでいる人たちに、何か伝えられることがあるんじゃないかと思うようになりました。
このメディアも、そんな思いから始めてみました。
東京で働いた経験があって、今も東京と青森を行き来しているからこそ、
地方と都会の距離や違いも少しずつ見えてきた気がしています。
これからもクマガイオウスケとして活動しながら、
東京と青森を行き来する立場だからこそ見える
「働き方」や「挑戦の形」
を、このメディアで発信していけたらと思っています。
そしてもしこの記事を読んでいる人の中に、
進路や働き方で迷っている人がいたら、
自分の経験から一つだけ伝えたいことがあります。
人生のルートは、思っているより一つじゃないということです。
自分も、りんご農家の家に生まれて、
普通に会社員になって、
そこからインフルエンサーになるなんて思っていませんでした。
でも、やってみないと分からないことって、意外と多いんですよね。
たまには少しだけ立ち止まって、
「自分は本当はどうしたいんだべな」
そう考えてみるのも、悪くないと思います。
まとめ
自分は、特別な計画を立ててインフルエンサーになったわけではありません。
むしろ、迷いながら動いた結果、今の活動につながっています。
地方で育って、東京で働いて、また地元と関わるようになって。
その中で感じたのは、働き方や人生のルートは、本当に人それぞれだということです。
地元に残る人もいれば、外に出る人もいる。
会社員になる人もいれば、別の道を選ぶ人もいる。
どれが正解かは、その人にしか分からないと思います。
だからこそ、もし迷っている人がいたら、
いろんな可能性を知った上で、自分の道を選んでほしいなと思います。
